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旅行記1

飛鳥宮(655年1月遷都)

(大化の改新 645年)後 飛鳥板蓋宮から難波長柄豊崎宮へ遷都しました、 655年、孝徳天皇崩御のため、 大化の改新の暗殺事件後十年で飛鳥宮へ戻りました。国の指定史跡として伝飛鳥板蓋宮跡として登録されています。飛鳥京跡といえばこの遺構を指すことが一般的であり、昭和38年にこの大井戸の発見 された板蓋宮伝承地は、飛鳥の中心地です。背景は甘樫丘です。甘樫丘の頂上まで登ると藤原京のあたりまで見渡せました。

(観光スポット)飛鳥寺
6世紀から7世紀の後半にかけて権勢を誇っていた蘇我氏の氏寺で、596年に創建された日本初の本格的仏教寺院。710年の平城京遷都に伴い、718年に奈良に移され「元興寺」となりましたが、元の伽藍(がらん・寺院の建物の総称)はそのまま残されました。現在は1825年に旧金堂跡地に再建された本堂が残るのみです。

(観光スポット)飛鳥大仏
飛鳥寺の本堂の中に安置されている本尊「釈迦如来坐像(飛鳥大仏)」は609年に作られたもので、国の重要文化財に指定されています。面長の顔立ちやアーモンド形の眼など飛鳥仏ならではの表現形式に注目してください。

(観光スポット)高松塚古墳
国営飛鳥歴史公園内にある、藤原京時代(694年〜710年)に築造された2段式の円墳です。1972年の発掘調査で極彩色の壁画が発見されたことで一躍有名になりました。被葬者はいまだに特定されていませんが、石室内の壁画や、副葬品などからかなり高貴な身分の人物ではないかといわれています。

(観光スポット)高松塚古墳壁画
高松塚古墳の壁画は劣化が激しく、現在修復作業中のため、オリジナルを見学することはできませんが、すぐ近くにある「高松塚壁画館」では、発見当時の壁画の模写や復元模型、副葬品のレプリカなどを展示し、高松塚古墳の全貌をわかりやすく再現しているのでぜひこちらにも足を運んでください。
私は抽選で当たりまして、修復作業を見ることが出来ました。当時は、色の鮮やかさは感じることは出来ませんでした。

(観光スポット)石舞台
7世紀初頭に築造されたとみられる国内最大級の方墳で、飛鳥寺の創建者・蘇我馬子の墓ではないかといわれています。石室を覆う盛土が全く残っておらず、巨石を積んだ横穴式石室が露呈した独特の形状をしています。天井石の上面が平らで、その様子が舞台のように見えることから古来より「石舞台」と呼ばれていました。石室を形作る30数個の石の総重量はなんと約2,300トンで、築造当時の7世紀には既に優れた土木・運搬技術があったことがうかがえます。
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